喧嘩
「出ていく」 右手の薬指から指輪を外したウォーロックは、それを思いっきりリビングの机に置くと振り向くこと無く玄関へと向かった。よほど怒っているのだろうか、普段とは違ってドスドスと大きな足音を立てながら去って行くウォーロックを止める事も声を掛ける事もせず、サイクロンはその背中をただじっと恨めしそうな顔で見送る。 「………勝手にしろ」 ポツリと呟いた言葉は彼には聞こえていたのだろうか。遠くで玄関の扉が大きな開閉音を響かせたのを聞きながら、サイクロンはその場で項垂れた。久しぶりの喧嘩、というよりかは、ここまで大きな喧嘩になったのは付き合ってから初めてだった。どうしてここまでの喧嘩になってしまったのか。きっかけはほんの些細な事だったに違いないが、そのきっかけすらも今はもう思い出せない。覚えているのは、お互いに酷い言葉で罵りあっていた事だけ。まさに売り言葉に買い言葉といった具合に言い合いがエスカレートしていった末、「もう知らないからな」とウォーロックが出ていってしまったのだった。 深く息を吐き、チラ、と見た机の上にはウォーロックが外していった指輪が静かに佇んでおり。サイクロンが右手の薬指に着けているものと同じく、蛍光灯の光に反射して鈍く煌めいていた。 3年前に、お揃いで買ったシルバーのシンプルな指輪。『似合ってる』ペアリングに照れているのか、何処となく恥ずかしいそうに、けれども嬉しそうに笑ったウォーロックは、同じ様な顔のサイクロンの耳元で囁いた。『お前も似合ってる』薄らと頬を染め、小さく呟かれたサイクロンの言葉に微笑んだウォーロックは、自身の右手をサイクロンの右手へと重ね。『今までもこれからも、ずっと一緒だ』そう言って優しく唇にキスをしてくれたウォーロックは、もういない。 どうしてあんな事を言ってしまったのか。どうして素直に謝れなかったのか。ついさっきまでウォーロックへの不満や悪口でいっぱいだったサイクロンの心の中は、今となっては後悔と自責の念で溢返り。涙で歪んだ視界のなか、サイクロンは覚束無い足取りで近くのソファへと力無く座り込んで、膝を抱える。 もう二度と帰って来なかったら。別れようと言われたら。 嫌な考えばかりが頭に浮かぶ。今更後悔したところで過去は変えられないと分かっているのに、それでもサイクロンは『たられば』を考えるのを止める事が出来なかった。ああだったら。こうだったら。そんな押し問答を続けるサイクロンの視界に、ふ、と自身の右手に着けている指輪が映る。ウォーロックのものと同じ様に鈍く煌めく指輪。少しの間それを眺めていたサイクロンは、意を決したように立ち上がり、指輪の置かれた机へと歩き出す。 (………謝らなければ) ごちゃごちゃ一人で考えていたって仕方がない。まずはウォーロックに会って謝ろう、と。持ち主の元から離れ、机の上で寂しそうに光っている指輪を手に取る。初めて買った時に比べれば若干の傷や黒ずみはあるものの、それでも大事にされていたのが分かる位に綺麗に輝く指輪に小さく口角を上げた後、大事そうにポケットへとなおす。何処に行ったかは分からないが、とりあえず近場を探してみよう、と靴を履いて玄関を出た瞬間だった。 「……っ、うぉー、ろっく」「サイクロン…………」 玄関を開けてすぐの段差に座っていたウォーロックの背中が目に入り、驚いたサイクロンが声を漏らす。今にも泣きそうな顔のウォーロックがゆっくり立ち上がると、玄関の前で立ち止まったサイクロンへと腕を回して抱きしめた。 「すまない。サイクロン、すまなかった」 サイクロンの首筋へと顔を埋め、縋る様に背中に回した腕は震えていて。何度も何度も「すまない」と泣きそうな声で呟くウォーロックを、サイクロンは優しく抱き締め返した。 「……私の方こそ、すまなかった」「違う。私が悪いんだ。君に酷い事を、」「いいや。私こそ、お前に酷い言葉を、」 「違う私が」「いいや私が」と、お互いに譲ろうとせず何度も言い合っているうち、何だかこの状況がおかしくなって、どちらからともなく小さく吹き出して、ウォーロックとサイクロンはお互いに笑いあった。 「っはは、君は本当に強情な奴だな」「お前こそ、頑固な奴だ」 抱きしめあって、顔を見合わせて、笑ってキスをする。さっきまでの嫌な考えなど全部消え失せ、幸せそうにキスをしては笑いあう深夜。 「っ、ああ、そうだ」「どうした?」 不意に声を上げたサイクロンがガサガサとポケットを漁り、ウォーロックの指輪を取り出す。 「ほら、忘れものだ」「………あ、」 ウォーロックの右手をとり、薬指へとサイクロンは指輪を嵌めた。 「…………もう、置いて行くな」「約束するよ。………絶対に置いて行ったりしない」 再び重なり合った2つの影の片隅で街灯の灯りに照らされた指輪が、今度は嬉しそうに輝いていた。
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